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太陽光発電パネルに思います

「純粋派」と「利殖派」と「何となく派」の3タイプに分けて見ました。

はたして「太陽光発電」は金の玉子を生むのか、はてまたは別なものを産み、残すのでしょうか?。

30数年前の風景の記憶に、孤独な「自動販売機」を思い出します。郊外の道路脇に一人(台)立ち、冬は缶コーヒーなどを電気で温め続け、夏の暑い日にはやはり電気でコーラなどを冷やし・・・、日に何本買う人がいたのか・・・。

自販機を所有する人(オーナー),自販機を売る人(中の飲み物を卸す人)がいて、ほぼ損をする人は自販機を所有する人。(自販機の電気料金の請求書がいくらだったのかは把握していません)

次に思い浮かぶ光景は屋根の上に載る太陽熱温水器。(この会社社長は時の人でした)いつの間にか私の建てたお家の屋根にも載っていました。このシステムは、熱帯植物を寒冷地に移植したようなもので、絶滅にはそう時間はかかりませんでした。(まだわずかばかり残骸が屋根の上に見かけることが有ります)

最近では「バイオ燃料」。(そろそろ、ありましたになってしまうのでしょうか)

次に「太陽光発電」。ささやかに「脱原発」に手を上げ、多少屋根の痛みなどにも目をつぶる程度の気持ちを持つ「純粋派」。次に所構わず屋根だろうが庭だろうが、とにかく町内の景観などには目もくれず、ただただ発電量を上げる「利殖派」。次に「まわりの人たちが~」と言う訳でささやかに屋根の上に載せる「何となく派」。高いところに物を上げてしまうと何をするにも不便なのは普段の生活も同じで、台所の吊戸棚が良い例かな~。

3つのタイプの全ては生き残れないように思うのは私だけでしょうか。

画像1,2~昨年、郊外で見つけたFRP製の牛を製作している工房を見つけました。

画像3~「帯広の森プール」手前から日高山脈を眺めたところです。このアングルが美しく見えるのは多分電柱が無いからの様に思います。









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