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コツホさんの家

「コツホ旧住宅」と書かれた白く、四角い墓標のような立て看板を目立たない農道の脇に見つけたのは12年程前のちょうど今頃でした。

この看板の前を何度か通るうち、何か気にかかり、150m程先に見える「コツホ旧住宅」玄関のベルを思い切つて押して見ました。

応対に出て来られたお母さんはこの「コツホ旧住宅」に長く住まわれていて、(聞かなかつたのですが、お話の内容では60年はお住まいの様でした) 聞くと、「コツホさん」との関わりなどを丁寧に説明してくれました。

さかのぼる事92年前、(関東大震災の年)道庁からデンマークに派遣された調査職員がデンマーク農家2戸,ドイツ農家2戸を選び、5ヵ年契約で招請し、札幌地区2戸(デンマーク人家族),十勝地区2戸(ドイツ人家族)の農家に模範営農(経営)を営んでもらい、農業先進地の技術などを近郊の農民へ普及させる目的だつたそうです。

お話を聞きながら庭に目を移すと、「何ですか、あれ?」

当時の私にはどう見ても「コンクリート製アーチ型犬小屋」と見えました。 

お母さんに聞くと、ここに来た時にはすでに庭にあり、コツホさんの犬小屋だつたのでは?とのお話でした。

私の性格の一つに「何だ、これ?!」となると、速やかに調査、解決するのでは無く、未解決のまま、何時までも引きずるところが有り、「あっ、そうか!」が出てくるまで今回ほぼ10年が必要でした。 

2年程前、足寄町「ありがとう牧場」の庭先にレンガを積み、ピザ窯を作っていて「もしかて!?」。(12年前だと、レンガ製アーチ型犬小屋)


コツホさんとは92年前、ドイツから6人家族で来日され、ここで7年間営農されていたとの事でしたのでした。ドイツ人なのだから当時、ピザではなくパンを焼いたのではないか、つまりコンクリート製犬小屋は「パン焼き釜!」。

今も当時も「コツホ旧住宅」周辺には店とは無縁なところなので、(あったとしても焼きたてパンは売られてい無いだろうな~)パンを庭先で焼いていたのでしょう。

と言うことで、12年前に見た「パン窯」をもう一度見てみようと思い、先週夏休みの終わりに行ってみました。 ところが12年の月日が経つているので、この日は「コツホさんの家」を見つける事が出来ませんでした。                 翌日、地元の役場を尋ねると地図のコピーまで用意してもらい、とても親切に教えていただき恐縮してしまいました。

地図に沿って探してみると、現在工事が進んでいる「高台の家」からそう遠くないところだつた事がわかりました。(遠くは無いと言つても10㌔程)。

12年ぶりに訪ねて見ると(高台の家の現場の帰りです)当時お話を聞かせていただいたお母さんはご健在で、(以前私が訪ねたことは覚えていませんでした)一緒に住まわれている息子さんからも「コツホさん」について断片的な貴重なお話をお伺いする事が出来ました。(いろいろメモを取りました)

お話をお聞きしながら、庭の隅々を見回したのですが、12年前にはすぐ目に付いた「パン窯」が見当たらないので聞いてみると、何と!「コツホさんのお孫さん達が大きなトラツクで運んで行きました」・・・。

ドイツにですか?!「コツホさんには男兄弟2人,姉妹の4人のお子さんがいて、7年後一家がドイツへ帰国する時には妹の(当時23歳くらい)ヘルタさんが日本人酪農家のかたと結婚され、一人北海道に残られたそうなのです。

ヘルタさんの嫁いだ酪農家の牧場は現在も道南で元気に経営されているのです。          80年後「パン窯」は道南、コツホ家の血を引く牧場の庭で熱いパンを焼き続けているとのお話でした。

画像1~コツホさん旧住宅(当時の姿はほぼとどめているようです)

画像2~コツホ家と同時期にやはりドイツから5人家族でこられたグラバウ家の住まいが十勝鉄道大通り駅として移築再使用されていた頃の写真を見つけました。

画像3~家の近くの「ビート資料館」に展示されている当時の十勝の農家を再現したジオラマです。

(ビート資料館は歩いて行ける所にある立派な民間会社の資料館なのですが、なかなか足を運ばないところです)

80年の空白時間を置き、祖々父のパン窯に火を入れ、パンを焼く家族。 とても惹かれます。(道南の牧場、1泊すると行けるだろうな~、行つて、見て。 お話を聞いてみたいな~)





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