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「緑ヶ丘物語」一区切りつきました

2年越しで調べることになってしまった「緑ヶ丘物語」。小雨の降る今日、細いクモの糸が繋がったような気持ちでした。

きっかけは帯広中心部より西へ2キロほど行くと大きなスケールの緑ヶ丘公園があり、その隣にやや錆びれかけた緑ヶ丘商店街,住宅街と広がり、この一画には以前から何かひつかかるものが有り、2年前の日曜日、自転車で歩いて見ようと思い、するところいたる所「陸軍航空隊」にまつわる建物が現役組から朽ち果てようとしている建物まで以外にも裏通りに点在している事を知りました。一昨年のブログにも書きましたが、調べている時、偶然尋ねた御年配の方から耳にした「緑ヶ丘飛行場」がここに有り、東から西に飛行機が飛んでいた・・・と。

この一言から私の「緑ヶ丘物語」調査が始まりました。これは日曜日毎に調べた事と仕事での偶然とが幾つか重なり、今日の現地確認で一区切りが着いたように思います。

画像は池田町利別豊田北4線沢。近く着工するところからそう離れていない所を探して見つけた「鏑(かぶら)部隊、第6野戦航空修理廠」跡にただ1軒残る当時の「宿舎」(現役)です。





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